「和栗由紀夫 魂の旅」

「和栗由紀夫 魂の旅」

2018年4月21日(土)ゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センター

「和栗由紀夫 魂の旅」終了と『舞踏花伝Web版』製作のお知らせ

「和栗由紀夫 魂の旅」は2018年4月21日にゲーテ・インスティトゥート 東京ドイツ文化センターで開催しました。多くの方にご参加いただきありがとうございました。

和栗由紀夫が1998年に発表し、土方舞踏の「舞踏譜 BUTOH-FU」を世界に知らしめる契機となったCD-ROM『舞踏花伝』。和栗由紀夫は亡くなる5ヶ月前、刊行20年となるこの作品を時代に合わせてWeb化したいと語っていました。その遺志を継いで「和栗由紀夫『舞踏花伝Web版』製作委員会」を発足し、皆様のご協力のもと、実現に向けて進めて行きます。
今後の進捗情報の配信をご希望の方は、こちらのフォームより連絡先をご登録ください。

『舞踏花伝Web版』配信登録フォーム

「和栗由紀夫 魂の旅」ライブ配信

ライブ配信15:00から始めます。視聴は以下のURLをクリックしてください。

(ライブ配信は終了しました)

最新情報

「和栗由紀夫 魂の旅」ライブ配信をおこないます。 会場に来られない人もどうぞご期待ください。

4/21(土)15:00から、「和栗由紀夫 魂の旅」 特設Webサイトにアクセスお願いします。

タイムテーブルはこちら。

「和栗由紀夫 魂の旅」の予約受付は終了いたしました。
多くの方のご予約ありがとうございました。

当日券は4/21(土)14:00から販売いたします。
なお、当日券は立ち見となります。ご了承のうえ、お越しください。

当日券の料金は3000円(パンフレット付き)です。
※チラシ等で4000円と告知していましたが、立ち見となるため3000円に変更いたします。ご了承ください。

ご予約されている方へ、当日はたいへんな混雑が予想されます。時間に余裕を持ってご来場ください。
受付開始・開場は14:00、開演は15:00となります。

会場には駐車スペースはありません。車でのご来場はご遠慮いただき、公共交通機関をご利用していただくよう、お願いします。

「和栗由紀夫 魂の旅」タイムテーブル

14:00 受付開始、開場

15:00 第一部「楼閣」

開会挨拶:谷川渥

舞踏:小林嵯峨
演奏:YAS-KAZ、ウォン・ウィンツァン、井野信義

映像上映
1972年 土方巽舞踏公演「四季のための二十七晩」より『疱瘡譚』
1989年 中嶋夏(霧笛舎)作品『眠りと転生』
1994年 和栗由紀夫+好善社公演『野の婚礼』

舞踏:山本萌

舞踏:正朔

トーク「和栗由紀夫と舞踏譜」
森下隆
後藤光弥

16:30 第二部「翼」

和太鼓:富田和明、東京打撃団(露木一博、藤本恭平)

ダンス:関典子「マグダラのマリア」

舞踏:工藤丈輝

映像上映
2007年 和栗由紀夫ソロ(大野一雄百歳の年ガラ「百花繚乱」より)
2017年 和栗由紀夫最後の舞台『病める舞姫』

舞踏:川本裕子、山﨑麻衣子、板垣あすか、加藤みのり、岡元ひかる、岡田みはる、千葉郁子
映像:TETSU
音楽:曽我傑

18:00 終演予定
終演後、ロビーにて懇親会を予定しています

『楼閣に翼』は、和栗由紀夫が土方巽より授かった「好善社」の最初の作品です。
和栗は1978年の最初の公演から数えて4回、同名の作品を上演しています。
本会は、この記念すべき作品『楼閣に翼』にちなんで構成しました。
和栗由紀夫の活動の軌跡を振り返りつつ、これからの舞踏へのメッセージを紡ぎます。

出演者紹介:川本裕子

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写真:高島史於

プロフィール

川本裕子(舞踏家、振付家)
1973年生まれ。1991年より和栗由紀夫に師事。「和栗由紀夫+好善社」で主な作品に出演し、土方巽の舞踏メソッドを学ぶ。1999年に独立。
土方舞踏譜を言語や風土の違う国でいかに伝えるかを工夫し、独自の方法で紹介している。2018年よりアジア人による初の国際舞踏集団プロジェクトをスタート。

2000年「東雲舞踏」設立
2012-17年“Asia Butoh Tree project”西安、寧、重慶、蘭州、西安、成都、廈門、マカオ、香港、広州、北京、クアラルンプール、バリ、バンコク、ペナン
2016年『Kantor_Tropy: COLLAGE』ポーランド12都市ツアー、『Quit House』バンコク舞踏フェスティバル
2016-18年『ささらもさら』東京、ノバスル、ジェノラグラ、グダニスク、パリ、ルーゴ
2018年『Tokyo Butoh Circus 2018』企画・出演

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写真:谷口雅彦

出演者紹介:富田和明、東京打撃団(露木一博、藤本恭平)

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東京打撃団

平沼仁一を代表として1995年に結成された、形式やスタイルにとらわれない「太鼓」の持つ可能性を追求し、太鼓アンサンブルの醍醐味を追求する和太鼓音楽集団。
これまでに、国立劇場の「日本の太鼓」公演を始め、フェスティバル、イベントへの出演のほか、「ザ・コンボイ・ショウ」及びダンスグループ「バグズ・アンダーグルーブ」、「劇団EXILE」、2.5次元舞台「刀剣乱舞」「NARUTO」などの太鼓指導&楽曲提供。窪塚洋介主演の東映映画『凶気の桜』、妻夫木聡・柴咲コウ主演の東映映画『どろろ』、野村萬斎主演の東宝映画『のぼうの城』への出演参加、2007年、三池崇史演出/哀川翔主演の舞台『座頭市』の劇中音楽への参加、2009~2010年、ヴォーカル&ダンスグループ「EXILE」、2011年、2014年の「EXILE TRIBE」全国ツアーに参加。
1998年には、国際交流基金主催によるフランス・アフリカツアーの他、「FIFAワールドカップ・フランス大会閉会式」にて、次期開催国の代表として演奏を披露。2000年夏には1ヶ月間のヨーロッパ・ツアー(ベルギー/フィンランド)及びハノーバーEXPO2000(ドイツ)の JAPAN DAY 公式催事に参加。
2003年、「ロシアにおける日本文化フェスティバル2003」、モスクワ及びサンクトペテルブルグ公演。2004年、カリブ諸国ツアー、2007年、東南アジア・ツアー(タイ/マレーシア/ブルネイ)、2010年、上海万博日本館ステージにて6月及び7月に日本館ステージにて演奏、
2014年、メキシコ・ツアー(セルバンティーノ芸術祭他)公式オープニング公演。

和栗さんの思い出
私がまだ独立して間もない頃、知り合いの紹介で和栗さんとお会いしたのは、93年頃だったと思う。ゆったりとした物腰の和栗さんは、和太鼓に興味を持ってくれて、佐渡の話やら70年代のコミューン的集団のあり方など夢中になって話し込んだ。そのときから和栗さんは私にとって「よき兄貴」になった。
その後も、お酒を酌み交わしながら、いろいろなお話しをした。アングラ演劇や舞踏に興味を持っていた私は、80年代から主だった舞踏の公演を観ていた。その頃、自分でも理由の分からなかった魔力のような舞踏の魅力を解き明かしたくて、土方巽の舞踏譜の話を食い入るように聞いた覚えがある。また70年代~80年代の熱い時代の香りを確かめるように酒を飲んだ。そのうちに、和太鼓と舞踏の公演を共同で構成演出しようという話が持ち上がり、あれよあれよと進み、太鼓打ちの富田和明、ヒダノ修一のふたりで、和栗さんの好善社の面々と手探りの舞台つくりの現場へと向かった。太鼓と舞踏は稽古のやり方が全然違い、お互い戸惑いながら試行錯誤の連続だった。おそらくいろいろご迷惑もかけたと思う。しかし稽古場では、なんでも自由にやらせてくれた。それを和栗さんは全身で受け止めて、好善社の若いダンサーたちもエネルギーの塊となって太鼓の音を跳ね返す勢いだった。照明の松本直みさん、舞台監督の北条孝さんの協力もあって新宿のP3で『沈める瀧』公演の初日を迎えた。当時、画期的な舞台だったと思う。
和栗さんともっと酒が飲みたかった。
ありがとうございました。

東京打撃団団長 平沼仁一

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富田和明/TOMIDA Kazuaki

太鼓打ち/和太鼓WS『太鼓アイランド』主宰。淡路島生まれ。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)在学中に初めて和楽器と出会う。役者の道を目指しつつも1977年、和太鼓公演に感銘を受け「佐渡國鬼太鼓座」入座、その後「鼓童」旗揚げに参加。89年に退座。佐渡を離れ、四年間の中国留学に。帰国後、再び太鼓の世界に復帰するきっかけとなったのが和栗氏の『沈める瀧』公演だった。
1995年自らの太鼓活動組織「打組」を結成、同年「東京打撃団」旗揚げに参加。2002年退団。渋谷ジァンジァン『富田和明参上 太鼓物語』、完全一人太鼓舞台『鶏音鼓』、齊藤栄一との『和太鼓 トーク齊富』など新しい太鼓世界の創造を目指してきた。また昨年、東京から淡路島まで歩く『富田歓暦歩き打ち~浜から島へ』を実施した。

僕が和栗さんと好善社の皆さんによる『沈める瀧』公演に参加させて頂いたのは、1995年2月のこと。
1月に阪神淡路大震災があり実家が全壊した後の公演であり、僕が長く太鼓を叩くことから離れていた後の復帰公演でもあり、もう一度太鼓を叩くことをやっていこうと覚悟を決めた公演でした。
『沈める瀧』の説明を和栗さんから何度聞かされてもよく分からないでいた僕でしたが、その舞台空間を見ただけで異様に興奮したのを覚えています。
お客様、舞台、お客様、と川の字になったスペースの真ん中には緞帳替わりの幕が張られていて、その幕が開くと、反対側のお客様が現れる。
そして光が、劇場に入ったところから舞台まで導かれたように連なり、闇に浮かび上がる。
また頭上に吊り下げられた皮膜彫刻という人型物体の妙‥‥‥‥。

その空間で太鼓を叩いたり、三味線を弾いた。そこで、
それまで太鼓は叩くものだと思っていたが、太鼓は叩かれなくても太鼓であり、叩かなくても太鼓打ちであり、それでもなお音はそこに存在するように思えた瞬間があった。
和栗由紀夫という肉体がそこで呼吸を続けていることで、その全てが鳴り響いているように見えた。

あれから23年が経って今、沈める瀧の残像が浮かび上がってきた。
和栗さんありがとうございました。合掌。

富田和明

写真:青柳健二 AOYAGI Kenji

出演者紹介:工藤丈輝

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プロフィール

工藤丈輝
1967年生まれ。仙台市出身。慶應義塾大学仏文科卒業。在学中より舞台芸術を志すが、1989年、舞踏との出会いが針路を決定づける。渡米して玉野黄市に師事。和栗由紀夫作品に出演ののち、1995~1998年、山海塾に参加。元藤燁子主宰のアスベスト館ではその封印(2006年)まで舞踏手のみならず振付までを手がける。近年はソロを主軸に、さまざまな分野とかかわりながら世界各所にて持続的に公演、ワークショップを行っている。おもな作品に、『業曝』(2007)、『荒漠器』(2010)、『降海の夢』(2013)、『敗北の傘』(2014)、『恐怖の恋』(2016)などがある。

出演者紹介:正朔

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プロフィール

正朔
1984年より土方巽に師事、『東北歌舞伎計画』に出演、師の死後、芦川羊子はじめ残された団員により結成された白桃房に1996年まで在籍し、白桃房公演の主要作品に出演する、同時に講習生達を組織し「グノーム」を主宰。1988年、故・郡司正勝氏により正朔と命名される。その後ソロ活動を中心にコンテンポラリーダンス、演劇への客演も行なう。2004年、舞踏カンパニー  Dance  Medium(主宰: 長岡ゆり)に参加し、長岡ゆりと共に振付、演出を行い全作品に出演、それまで長岡ゆりが続けてきた毎週定期舞踏ワークショップを共に指導し現在に至る。2012年『帰ル』にて長岡ゆりと共に第43回舞踊批評家協会賞の大賞を受賞、海外での活動も多い。

今回の出演にあたって

いつでも会えると思っていて、随分長く和栗さんと会わずにいました。初めてお会いしたのは東北歌舞伎計画の為の私達の稽古をしていると、暗い席から白く光る射抜く様な視線で見ている知らない人がいました、それが土方先生に呼び戻された和栗さんでした。舞台ではヒヨコの様な私達を優しく誘導してくれ、舞台が終われば面白い話しをいろいろ話してくれました。そうして東北歌舞伎計画の公演を重ねていくのですが土方先生の死という恐ろしい出来事が起こってしまいました、葬儀で和栗さんがお客様方へ「この世で会った最高に素敵な人でした」と語った姿が忘れられません。それからしばらくして和栗さんの好善社公演『桜閣に翼』に真島大栄と誘われ参加しました、それから私は白桃房に入り会う機会が減りましたが最近レクチャーの時に席が隣になり、私が「私は舞踏が好きでこの道に入ったと言うより土方先生が好きだったからこの道に入ったのかもしれません」と言うと和栗さんが「そういうのは俺たちが最後かもしれないな」といっていました。和栗さんの体調の事を心配しながらも元気だと人づてに聞いて安心していたのですが突然けして会えない所へ行ってしまったんですね、今は大好きな土方先生といつでも会える所へ行かれたんですね、ひどく取り残された思いにかられます。でも私はこの世で未だ何も出来ていないから、もう少し頑張って生きていきます、合掌。

写真:Daniel Lagartofema'ndez

出演者紹介:山本萌

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プロフィール

山本萌 / やまもともえ
金沢舞踏館を主宰する。石川県金沢市を拠点に舞踏で活動している。1976年、山本萌が『正面の衣裳』をもって土方巽の暗黒舞踏派・白桃房より独立して金沢舞踏館を名乗る。
和栗由紀夫とはこのアスベスト館の修行時代を後輩として一緒に過ごす。在籍は3年ほどであるが、その後もアスベスト館の公演に客演して、好善社の最初の公演『楼閣に翼』に出演する。その後はそれぞれの活動に専念していた。
金沢舞踏館として1999年からオーストリアでの舞踏プロジェクトに招かれ、公演やワークショップなどを継続的に実施。これまで『変身』『シンクロン』を制作しButohの海外普及に努めていた。2013年、グラーツで国際共同制作をおこない『彼らの喜びを奪うことなかれ」公演。2014年6月ルーマニア・シビウとモルドバ・キシナウにて『記憶の海』『晩秋の閃光』を公演。2015年3月、京都『Ophelia Glass -暗黒ハムレット-』の公演で、能楽師、狂言師、日本舞踊家との伝統芸能をミックスした演出をおこなう。2016年、土方巽没後30年記念作品『ふいご少年と煙玉少女』を金沢で上演し、2017年10月、この作品で東北三都市を巡るツアーを敢行している。来年には東京でも予定している(2019年3月 d-倉庫)。金沢で年2回舞踏合宿を主催している。

金沢舞踏館 ホームページ

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写真:ハヤシハジメ

出演者紹介:小林嵯峨

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プロフィール

小林嵯峨
1969年、土方巽に師事。土方巽燔犠大踏鑑には1975年まで在籍。第二次暗黒舞踏派の主力メンバーとして芦川羊子、玉野黄市、和栗由紀夫らと共に、舞踏創成期の全ての土方作品に出演、特に集大成ともいえるアートシアター新宿文化における『四季のための二十七晩』、西武劇場(現・PARCO劇場)柿落とし公演『静かな家・前后編』には全編にわたって出演、70年代における土方舞踏確立の一翼を担う。重心を低く落とし、西洋のバレー、ダンスとは対極にあると言える舞踏のスタイルは、この2作品によって決定されたと言ってもよく、後に輩出する多数の舞踏家に多大な影響を与えた。1975年、立花隆一と共に独立、彗星倶楽部を結成。1995年より「アウラ・ヒステリカ」をテキストとする「アウラシリーズ」を展開、身体と心の無意識領域を探り、自己の舞踏を追及する。フランス、ドイツなど海外の活動も行う一方近年では国内における公演を重視しその意義を見出そうとしている。〈小林嵯峨+NOSURI〉主宰。著書に『うめの砂草・舞踏の言葉』(発行・アトリエサード)がある。

1998年『月姫・Gekki』シアタートラム
2005年『舞姫嵯峨+35 原色の70年代典』Gallery LEDECO
2010年『kRUMI - 2』d-倉庫
2015年『サナギノ比命』ストライプハウスギャラリー
2016年『翻案・犬の静脈に嫉妬することから』d-倉庫
2017年『孵化する』慶應義塾大学日吉来往舎、『嵯峨・幻化野げんげ~の~』京都大学西部講堂

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共に踊った歳月の重みとこれから生きていく歳月の重みがどちらもが私にはずっしりと。

時間と空間はメビウスの輪の様だ。

写真:小野塚誠